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第1回オホーツク網走マラソン完走♪ [マラソン]

9月27日(日)AM9時スタート 制限時間は6時間 お天気は晴れ→14時ころから雷雨

前日26日に関空から女満別空港に入る。約2時間で到着。空港に着いたのは17時、そこにいた人と4人で乗り合わせてタクシーで17時半からの開会式に向かう。網走にある会場のエコーセンターは満員で通路まで人があふれていた。急遽舞台の上に椅子が並べられ、私たちも座らせていただいた(笑)金さん、ワイナイナさん、司会者の方とランナーが舞台上に^^

スクリーンでは明日のマラソンの攻略法などの説明もあった。エイドステーションの食べ物も詳しく教えていただく^^蟹汁、根菜糖、流氷飴、牛乳、あんぱん、いも団子、バナナ、梅干し、天才ビートくん(砂糖菓子)、飴、コーラ、しじみ汁、ベーグル、長てん(揚げかまぼこ)

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帰りは網走駅から呼人駅まで一駅乗ろうと思ったら19時37分が最終電車でした。早すぎやん!

呼人駅から宿泊のホテルへぽつぽつと歩くが、暗いし誰もいないから怖かったです。「北天の丘あばしり湖鶴雅リゾート」ホテルはとっても豪華でした。金さん、ワイナイナさんも宿泊されてました。向かいにはトレーニングフィールドもありました。よく合宿に来てるっていう話だったので、ここでトレーニングされてるのかな~?

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ホテルには外に足湯がありました。北方民族のテント住居をイメージしたモニュメント。幻想的でゆったりと入れました。

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館内の椅子のギャラリーではハープ演奏があり、海外から来日の美しい女性が1日4回演奏してくれます。うっとり~^^

バイキングも美味しかった~^^お腹いっぱい食べすぎ(笑)女一人旅のお部屋はトリプルルーム。とーーても広かったのでゆーーったりできました[ぴかぴか(新しい)]

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9月27日(日)AM9時 いよいよマラソンスタート。ホテルのバスで送迎していただけます。7時、7時半の2便。網走刑務所正門前がスタートライン。刑務所敷地をお借りしてのマラソン大会なのである。スタートゲートは刑務所の塀よりも低くしてあった。このお祭り騒ぎが塀の中の人にも聞こえてるんだろうなぁ。

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東京農業大学生物産業学部の吹奏楽、チアリーダー、応援団がエールを送ってくれる。東京農業大学のオホーツクキャンパスがここにあります。たくさんの学生さんがボランティアをしてくれ、これで単位がもらえるそうです^^

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網走刑務所正門前をスタート。

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鏡橋を渡り国道39号線へ。5キロほどは平坦だがその後激坂になります。坂が4回ある中の3回目が終わった14.4キロが関門。20分前に通過できました^^ 

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このあたりまでのペースはキロ7分でいけましたが、その後は食べ過ぎが原因で胃が痛くなってきてペースが落ちてきました。

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お天気も怪しくなってきました。

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26キロ過ぎたらペースは9分台になってしまい、29キロ関門通過したら胃薬を飲みました。関は門は20分前にクリア^^35キロの関門も13分前にクリア^^何とかゴールできそうだと実感できました[グッド(上向き矢印)] でもこのペースだとホントぎりぎりなので何とかせねば!あちこち痛くなってきたので今度はバファリンを飲む!しばらくしたら元気がもどってきた。漁場の辺りだったかな。

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色々エイドステーションで食べたかったのだけど、胃痛と闘いながらだったのであんまり食べれず、しょんぼり;;14時頃からは雷雨で大変でした。まだ37キロ過ぎにいました。真上で雷が鳴り横にどーんと落ちてました。ランナーに落ちなくてよかったなぁ。救急車は2回見た。あの人たちは大丈夫だったのかな~?次に日の新聞に命に別状なしと出てたようで安心しました。

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ひまわり畑の中でゴール!

でも完走できてよかった~~^^グロスタイム5時間48分05秒(ネットタイムは5時間42分17秒)最後のランナーは6時間22分で完走メダルと賞状もらえます。35キロ関門通過したらみんなゴールできるようにしてくれてる温かい大会でした[グッド(上向き矢印)]

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完走メダルは網走刑務所の方の一つ一つ手彫りです。

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裏には網走刑務所の焼き印。

景色の写真はもっと撮りたかったけど今回は余裕がなくってほとんど撮れなかった。撮るランして関門にひっかかったら大変だからね(笑)

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フィニッシャータオルは濡れた体を温かく包んでくれました。ありがたかったです^^

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参加賞はアームウォーマーでした。(ゼッケンと共に事前郵送)

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28日(月)オホーツク流氷館展望台からはオホーツク海と知床岬が見えました。

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最終日はアフターを思いっきり楽しみました。流氷館で-15度の体験。分厚い服を貸していただけるのでそんなに寒さは感じませんでした。

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網走監獄資料館では監獄飯をいただいたり、囚人の服を着たりして写真撮影。逃亡しても目立つように赤い服です。

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明治23年小さな漁村網走に突如現れた赤い服の囚徒50名。網走と旭川を結ぶ中央道路を造るために釧路集治監より送られた最初の囚徒たちだった。「一日遅れれば、一日ロシア帝国に引けを取る」それは北方の脅威から日本を護り、北海道の開拓を進めるもうひとつの開拓史の始まりだった。

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監獄では自給自足。

明治維新とともに蝦夷地は北海道となりましたが、着々と南下を進めるロシア帝国の前に丸裸同然で横たわる北海道でした。

北海道の開拓には囚徒を用いた道路開発が急務であると金子堅太郎は提言しました。「未開地だけに多額の費用がかかる。賃金の安い囚徒を使えば工事費は抑えられ、苦役で囚徒が死んだとしても監獄の出費が浮くのだから一石二鳥だ。」何という残酷な提言だろうか。

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こうして明治23年網走監獄が誕生しました。中央道路の悲劇とともに。中央道路は網走と北見峠を結ぶ163キロ、これを1年足らずで完成させました。1200名の囚徒が4~5時間の睡眠で普通の4倍働かせられました。逃亡防止のため二人一組で鎖でつながれて突貫工事を行いました。211名が命を落とし、多い日には一日8名が命を落としました。6人に一人命を落としたことになります。

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現在の監獄飯はとってもヘルシーでした。米7、麦3、はるさめサラダ、さんま、お味噌汁、切り干し大根。

網走監獄博物館では学ばされました。監獄の方のお蔭で今の美しい北海道があるのですね。知られざる北方史を体感できる野外行刑博物館!是非訪れてみてください[exclamation]

素晴らしいオホーツク網走マラソンの旅でした。沢山のボランティアの方、網走刑務所の方にお世話になり感謝します。最後まで読んでいただきありがとうございました♪



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